「ウェーバーとマルクス」レビュー
雑な部分を整理して再投稿してみました。
平成31年3月11日(月)
あんまりひどいレビューしかなく、とても残念なので、浅学ながら、あえて発言します。
本書は正式の準備をもって読めば、非常に意味のある論議です。
理解できないのは、基本的前提がないためであると思われます。
まず、私の「学歴」について。
これはどういう立場からの発言か?ということを理解して頂くために書きます。
大学教養過程の「社会学」の時間に、大塚久雄先生の「社会学の方法〜ウェーバーとマルクス」「社会科学における人間」(どちらも岩波新書です)という本を熟読した体験は大きいです。
つまり、「自然科学」とは違った意味で「社会科学」が成り立つという基本認識を知りました。興味のある方は是非、ご覧になってください。
それから、時間は経ったのですが、「ウェーバー学」に興味が出て、「マックス・ウェーバー」(安藤英治・著 講談社学術文庫)を読んだことは重要です。
(この「ウェーバーとマルクス」という本を知ったのも、この本からです。)
社会科学の書物の教養としては、内田義彦さんの本が大変役に立ちました。
「読書と社会科学」「資本論の世界」「社会認識の歩み」です。(いずれも岩波新書)
また、ウェーバーについては、「社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」」という論文(岩波文庫)を熟読しています。
では、こういう前提から、本書の「レビュー」に入ります。
そのことはご理解頂きたいところです。
また、私は「マルクス思想」は「共産党運動」の失敗から(どこから見てもあきらかな「失敗」です)嫌悪感を持っていましたが、本書から、「マルクス理論」の現在性を確認し、「ウェーバー学批判」を学びました。
また、結果的には、ウェーバーの非難する「社会主義」は、「修正資本主義」「福祉政策」などの形で、純粋の「資本主義」の暴走に対する「歯止め」の機能を果たしたと考えます。
これらの読書から、「マルクス主義」は「全くのデタラメ」ではないことを知りましたが、ここで言う「マルクス主義」は「共産党の指導理論」ではなく、「社会科学的認識」です。
エンゲルスの書いた有名な「空想より科学へ」という論文(岩波文庫・刊)では、「指導理論」という側面と「社会科学的認識」という部分が混在していて、現在の時点では容易に修正しうる部分もありますし、あまりに「扇情的」な文体は正直に言うと、嫌悪感しか感じません。
そういう意味で、「マルクス理論」は好きではない理由は強くあります。
率直に言って「ブルジョア」と「プロレタリアート」という対比は、現代日本では違和感も感じます。
(これはどうやら時代背景があるようですね。)
そういう点から、ずっと「ウェーバー学」を愛読してきましたが、本書「ウェーバーとマルクス」は、適切な「ウェーバー学批判」「マルクス学擁護」をしています。
建設的な「ウェーバー批判」はあまり聞かれないので貴重です。
これは、「ウェーバー学全体の根本的否定」では必ずしもなく、ウェーバーの「社会主義批判」に対する再批判と、「ウェーバー学」の不足部分の指摘です。
これについてはウェーバーの「社会主義」という小さな本を参照してください。
また、ウェーバーとマルクスの扱ったテーマが「資本主義という現象の解明」と「そこにある問題からの救済」という点で相補関係にあることもよく理解できます。
これはきわめて「現在的」また「未来的」テーマで、われわれはまだこの難問を上手に解けないでいる現状です。
そういう、正統的な「読み解き」ができるだけの「前提があるなら」本書の扱うテーマは全く「建設的議論」で、「良心的」でもあると思います。
本書のテーマは「ウェーバ−とマルクスの対比」にあり、「ウェーバー論」「マルクス論」にバラバラに読むべきではありません。
これからも、ウェーバー学を深く学びたいですが、その不足部分を自覚して、マルクス学については、有効な部分を援用してゆく必要も感じました。
以上です。
いかがでしょう?
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ウェーバーとマルクス 単行本 – 1966/1/1
“マルクス=ウェーバー問題”を初めて提起した初期レヴィットの代表的論文で、資本主義社会の自己疎外=合理化にかんする両巨人の分析批判と理念の相異を比較検討した名著。
目次
緒論
一 問題の提起
二 ウェーバーとマルクスの一般的特徴
第一篇 「合理化」を手引とするウェーバーの市民的資本主義的世界の解釈
第一章 マックス・ウェーバーの探究の本来の動機
第二章 近代世界の問題的表現としての《合理性》
第三章 普遍的隷従状態の真只中における個人の自己責任への自由としての合理性
第二篇 人間の自己疎外を手引とするマルクスの市民的資本主義的世界の解釈
第一章 その解釈の史的展開-ヘーゲルよりフォイエルバッハを経てマルクスへ-
第二章 人間の自己疎外の経済的表現としての《商品》
第三章 人間の自己疎外の政治的表現としての市民社会
第四章 人間の自己疎外の直接に社会的な表現としてのプロレタリアート
第三篇 唯物史観にたいするウェーバーの批判
シュタムラーとの対決のうちに間接に現れたウェーバーのマルクス批判
宗教社会学におけるウェーバーのマルクス批判
原註
訳者後記(弘文堂版)
訳者後記(未来社版)
目次
緒論
一 問題の提起
二 ウェーバーとマルクスの一般的特徴
第一篇 「合理化」を手引とするウェーバーの市民的資本主義的世界の解釈
第一章 マックス・ウェーバーの探究の本来の動機
第二章 近代世界の問題的表現としての《合理性》
第三章 普遍的隷従状態の真只中における個人の自己責任への自由としての合理性
第二篇 人間の自己疎外を手引とするマルクスの市民的資本主義的世界の解釈
第一章 その解釈の史的展開-ヘーゲルよりフォイエルバッハを経てマルクスへ-
第二章 人間の自己疎外の経済的表現としての《商品》
第三章 人間の自己疎外の政治的表現としての市民社会
第四章 人間の自己疎外の直接に社会的な表現としてのプロレタリアート
第三篇 唯物史観にたいするウェーバーの批判
シュタムラーとの対決のうちに間接に現れたウェーバーのマルクス批判
宗教社会学におけるウェーバーのマルクス批判
原註
訳者後記(弘文堂版)
訳者後記(未来社版)
- 本の長さ165ページ
- 言語日本語
- 出版社未来社
- 発売日1966/1/1
- ISBN-10462401006X
- ISBN-13978-4624010065
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登録情報
- 出版社 : 未来社 (1966/1/1)
- 発売日 : 1966/1/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 165ページ
- ISBN-10 : 462401006X
- ISBN-13 : 978-4624010065
- Amazon 売れ筋ランキング: - 320,551位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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