あいりん地区の過去、現在、未来をしっかりと学ぶことができる好著。
著者は研究者として現地を調査し、ソーシャルワーカーとして現地で働いていただけに説得力がある。豊富な資料と自分の調査や経験がうまくミックスされていて、著者の端的で切れ味鋭い文章が心地よく、かつ、専門的でありながら難易度も高くないので、どんどんと読み進めることができる。
著者は学者として、感情を抑えて、事実にひざまづくことを選んでいる。しかし、彼を執筆に、研究に、行動に駆り立てものはなんだろうか。それは、労働者、社会的困窮者、あいりんへの愛に違いない。激動の場所を、著者にはずっと見つめてもらい、本作の続編を期待したい。
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貧困と地域 - あいりん地区から見る高齢化と孤立死 (中公新書 2422) 新書 – 2017/2/19
白波瀬 達也
(著)
「日雇労働者の町」と呼ばれ、多くの暴動などで注目を集めた大阪のあいりん地区(釜ヶ崎)。しかし、高齢化が進み、単身者が多いため孤立死の問題が顕在化した今は、「福祉の町」として知られる。
本書はこの地域の問題と取り組みを論じるものだ。高齢化、再開発、社会的孤立、弔いのあり方などは、日本が抱える課題にも通じている。あいりん地区の試行錯誤は、今後の地域社会を考えるうえでも資するはずだ。
本書はこの地域の問題と取り組みを論じるものだ。高齢化、再開発、社会的孤立、弔いのあり方などは、日本が抱える課題にも通じている。あいりん地区の試行錯誤は、今後の地域社会を考えるうえでも資するはずだ。
- 本の長さ222ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2017/2/19
- 寸法11 x 1.1 x 17.4 cm
- ISBN-104121024222
- ISBN-13978-4121024220
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商品の説明
メディア掲載レビューほか
貧困と地域
大阪・西成で長年、調査や支援活動に携わる社会学者が、あいりん地区が抱える「貧困」問題の実相をまとめた。
高度経済成長期以降、日雇い労働者や生活困窮者を数多く受け入れてきたことで知られるあいりん地区。近年は住人の高齢化などに伴い、住まいや孤立死にかかわる問題が増加。宿泊者減少に悩む簡易宿泊所をサポーティブハウス(集合住宅)として再利用するなど、あらたな支援のかたちが生まれている。現在のような状態が今後も続けば、行政の負担は増し、貧困は社会から見えない場所に追いやられる。生活困窮者を特定の地域に集中させるのではなく、各地域の受け入れを増やしていかねば、問題は根本的に解決しないのではないか、と問う。10年以上、地道な現地調査を続けてきた著者だからこそ、その提言には重みがある。
評者:松岡瑛理
(週刊朝日 掲載)著者について
1979年京都府生まれ。2008年、関西学院大学大学院社会学研究科博士課程後期課程単位取得退学。大阪市立大学都市研究プラザ博士研究員などを経て、現在、関西学院大学社会学部准教授。社会学博士。専門は福祉社会学・宗教社会学・質的調査法。著書に『宗教の社会貢献を問い直す』(ナカニシヤ出版)がある。
登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2017/2/19)
- 発売日 : 2017/2/19
- 言語 : 日本語
- 新書 : 222ページ
- ISBN-10 : 4121024222
- ISBN-13 : 978-4121024220
- 寸法 : 11 x 1.1 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 24,344位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年11月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2020年7月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あいりん地区の成り立ちや構造、貧困地区としての特徴、行われている支援の諸相が比較的淡々と紹介されている。あいりん地区の基本を知るための良書だと思う。
特に、サポーティブハウスについての箇所は興味深かった。貧困ビジネスとの境は曖昧な部分もありつつ、必要な支援であること、しかし行政の援助を受けにくいジレンマがあることなど、報道からは伝わりにくい現実がわかった。
特に、サポーティブハウスについての箇所は興味深かった。貧困ビジネスとの境は曖昧な部分もありつつ、必要な支援であること、しかし行政の援助を受けにくいジレンマがあることなど、報道からは伝わりにくい現実がわかった。
2018年9月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
貧困層の拡大が進む中で、いずれ多くの日本の地域社会に訪れるであろう問題点をあいりん地区で実際に起きた歴史から述べている。セーフティーネットが多層化したがゆえにそれらが貧困層の保険となっていることと同時に、各団体が支援の連携が不十分であるなどといった内容は、私も貧困に近い層であるため、公的施設、支援などに関して参考になった。
記述の仕方も、この手の本を読んだことのない私でも、特に難しくなく、わかりやすく書かれている。
記述の仕方も、この手の本を読んだことのない私でも、特に難しくなく、わかりやすく書かれている。
2019年7月29日に日本でレビュー済み
かねてより貧困に関心があり、西成区の貧困について書かれた本と言うことで手に取りました。
”日雇労働の町”として言わずと知れたあいりん地区。あいりん地区は高度成長以前は男女比の変わらないスラムであったが、大阪万博に向けた労働需要の高まりにより単身男性労働者が集中し、バブル崩壊に伴い失業者が増加した。2000年代のホームレス対策による生活保護の適用により野宿者は減少したものの、野宿者は一定数残り続けており、これら野宿者に対して各種の支援が向けられた。こうして分厚くなったセーフティーネットは各地から福祉資源を求める人々を招き寄せ、結果として貧困層が集まった。こういった、あいりん地区に日雇労働・貧困が集中した歴史的背景を知ることができて大変興味深かった。
また、西成特区構想などの再開発プロジェクトがその地域にどのような影響を及ぼし、どのような悪影響が懸念されているのかについての記述も大変興味深かった。
現在あいりん地区のように貧困が集中する地域はあまりないと思われる。しかし今後貧富の差が拡大し人口の一極集中などにより、新たな貧困集中地域が出現する可能性もある。あいりん地区はこうした貧困集中地区に対する支援・行政プロジェクト等の先行事例になりうると感じた。
”日雇労働の町”として言わずと知れたあいりん地区。あいりん地区は高度成長以前は男女比の変わらないスラムであったが、大阪万博に向けた労働需要の高まりにより単身男性労働者が集中し、バブル崩壊に伴い失業者が増加した。2000年代のホームレス対策による生活保護の適用により野宿者は減少したものの、野宿者は一定数残り続けており、これら野宿者に対して各種の支援が向けられた。こうして分厚くなったセーフティーネットは各地から福祉資源を求める人々を招き寄せ、結果として貧困層が集まった。こういった、あいりん地区に日雇労働・貧困が集中した歴史的背景を知ることができて大変興味深かった。
また、西成特区構想などの再開発プロジェクトがその地域にどのような影響を及ぼし、どのような悪影響が懸念されているのかについての記述も大変興味深かった。
現在あいりん地区のように貧困が集中する地域はあまりないと思われる。しかし今後貧富の差が拡大し人口の一極集中などにより、新たな貧困集中地域が出現する可能性もある。あいりん地区はこうした貧困集中地区に対する支援・行政プロジェクト等の先行事例になりうると感じた。
2024年2月8日に日本でレビュー済み
労働者からの搾取構造の分析なき、「社会学的アプローチ」に意味はあるのか。
本書を一読して強く思ったのがこの一文。どうにも行政よりの、政治姿勢が露骨
な論考だろう。
著者の釜ヶ崎へのアプローチのスタンスは実に曖昧で、「お勉強」なさった学
者さんが、今でに見知ったことを書き連ねているだけか、その思いが強い。本書
では他の専門家が行った過去の研究成果を上手に取り入れているとは思う。だが
少なからず「上滑り」的な分析であり、本書扉には「貧困の地域集中とその対策
を迫った著者による現在のコミュニティー論」とあるが、この気負い立った表現
とは異なり、不十分な論考でしかない。
「まえがき」には、「この地域(釜ヶ崎 著者は官製用語の「あいりん地区」
と表記)が被ってきた不利を明らかにし、それに対してどうのようなセーフティ
ネットが生み出されてきたかを見ていく」とある。
これもかなり曖昧な記述。対象地域ははっきりしているが、内容は凡百の釜ヶ
崎研究と大差ない。というよりも過去の研究をまとめたものが本書の内容となる。
序章、第一章。「二〇〇〇年代初頭までのあいりん地区の歴史を概ね時系列に
沿って論じ」、第三章から第五章は「二〇〇〇年代以降にあいりん地区で生じた
新たな課題を『住まいの貧困』『社会的孤立、孤独死』『再開発』の三つのテーマ
に分類して」取り上げる。終章が総括であり、「地域の経験を活かすため」とな
る。
序章。かなり詳しい資料を活用しているが、いずれも他の研究者及びジャーナ
リストの著作からデータを引用。確かに孫引きするしか仕方ないデータもある(過
去のデータなど引用しかできないのだから)が、そのデータを使用しても結論め
いた言辞はほとんど引用書のまま。参考文献のまとめに過ぎなかった。
高度経済成長期に入るころから釜ヶ崎の人口が急増したこと、売春防止法と該
当地区、盛りだくさんだが他書をまとめた内容でしかない。20ページほどの分量
では十分に語ることができると思ったのだろうか。
第一章。戦後の好景気によって釜ヶ崎が「スラム」から「ドヤ」の街へと変貌
する。興味深い分析があるがここでも基本は他書からの引用。
スラム … 家族、長期滞在、人間関係が濃密
ドヤ … 個人、短期住み込み、人間関係が希薄
「高度経済成長機の釜ヶ崎は、スラムとドヤ街の中間的な性格を帯びている…
のであり、それが(1951年~1960年までの)経済の高度成長に伴う、急速な近
代化によって…スラムの比重が相対的に減少し、むしろ下層労働者の住む所、す
なわちドヤ街の占める比重が非常に大きく」なったとある。これはなるほどと思
う。
1960年代には「単身日雇労働者の空間へと大きく変質する」。これは「万博建
設に伴う労働力需要の急激な高まりによる簡易宿泊所の環境および…親族世帯の
地区外移転を促す住宅政策」に原因があるだろう。これには著者は批判的なニュ
アンスで「一面」的と論評している。
この章での分析は興味深いが、ここでも著者独自の姿勢や新しい論はない。
新左翼諸党派による「流動的な下層労働者」として位置づけられて日雇労働者
を組織する運動について。各地域(全国ドヤ街)の寄せ場を「階級闘争の最前線」
とするあり方への言及があるが、著者は全面的に否定するのではないが、著者の
政治的スタンスから、基本的には政治的運動には触れないことを、旨としている。
著者は自分の意見を入れないとしながら、印象操作を行っている。
わずか「一回のみのインタビュー」で、結果としての政治運動のマイナス面を
強調している。ご丁寧にインタビューの日時を麗々しく入れて、こう記述する。
地区社協会長、「社会運動の激化が、親族家庭の転出などによる人口構成の変
容に大きな影響を与えた」。
町会長、「経済力のある世帯は、より治安の良い地域へ転出し…日常化する抗
争や騒乱に不安を覚え…転出(した)」。
わずかな聞き取りで、これを提示するのは印象操作というよりもっと悪質なミ
スリードでしかない。大体、その本元である運動体の調査を全く行わず、
インタビューすらしていない。著者の研究者としての資質を疑わざるを得ない。
面倒な事には手を触れないで、「他人の思い」を客観的と提示する。これは反則
も反則。
さらに暴力団による釜ヶ崎での暴力的支配と、「左翼集団」による日雇労働者
の組織を意図的に混同させている。まるで「左翼集団」が釜ヶ崎で利権を得てい
るかのような書き方だ。これにも呆れた。
また行政側による一方的な講演からの「テント追い出し」=これは行政がテン
ト生活を強いられている人への「処分」でしかない、これをこうしめくくる。
「労働運動の担い手にとっては、活動拠点の喪失を意味するが、地域住民にと
っては憩の場の喪失を、子どもたちにとっては遊び場の喪失を意味する。…労働
運動と行政との激しい攻防によって…公園の大半が封鎖された。…転出に拍車を
かけ、地域に長く遺恨をのこすことになった」。
この文章の問題点は大きく4つもある。なんだろうこのいい加減な論考は。
1、まず公園封鎖をしたのが行政側であり、その責任を問うていないこと。
著者は(後述するが行政側の人間であり)、責任の軽重を問うことなく、関連
する団体に、あたかも同じような責任があるかのようにいう。これは明確な誤り。
主体となった行政を分析すらしていない。手抜きも手抜き。
2、この公園封鎖について、「追い出されたテント住民」を一切語っていない。
聞き取りも全くなく、テント住民を意図的に無視する。少なくとも、最も「被害」
を受けた側へのインタビューは必要不可欠。著者の頭の中では、「テント生活者」
は住民ですらないのだろう。非常に差別的な取り扱いだ。
3、その他の関係者=行政、近隣住民への聞き取りも一切ない。頭で考えたこ
とのみを提示するのみ。
4、「運動団体」の「利益」と、「近隣住民」の「利益」を二律背反とする。
どこにもその論の正当性を補強する事実はない。「運動団体」を現実から遊離
した独自の価値観を持つ団体と規定する。その団体の運動目標すら提示しておら
ず、意図的な手抜きをしている。これらの文章には怒りさえ覚える。
バブルとバブル崩壊後の日雇労働者のデータは確かに興味深い。しかし、引用
されている新聞がかなり体制側に立った新聞である。
おかしなことに「大阪本社」ではなく「東京本社」の取材で、非常に違和感が
ある。この新聞の大阪社会部は丁寧な取材で有名だが、釜ヶ崎を語るになぜわざ
わざ東京の社会部の記事なのか。
「過激派が介入、扇動した」、「とばく常習者」、「常習泥酔者」、「不良労働者」
等々の表現で、きちんと定義さえない「罵倒語」をなぜここで紹介するのか。見
識を疑う。無批判の引用は差別につながる。
当たり前の論。「寄せ場の労働力は刑期の調整弁として活用されやすい」とあ
るが、その「構造的に安価な労働力のみを求めた雇う側(主に元請けはゼネコン、
下請けは各種建設会社)」への批判はもとより、調査さえない。ピンハネ構造を
語ることなしに、日雇労働を語ることなどありえない。
また意味不明な「分析」もある。「生存競争においてハンディキャップを課せ
られている人びと…被差別部落出身者、在日コリアン、障がい者」とあるが、そ
のデータが「既存の資料で具体的数字を示すのは難しい」。それならば、データ
が揃っていないのも関わらず、耳目を惹くように「被差別部落出身者」等をいれ
たのか。これも疑問だらけ。
さてバブル崩壊以降の状況を、「日雇労働者の『無用化』『スクラップ化』…寄
せ場としての釜ヶ崎そのもののスクラップ化」と表現する他の研究者もいる。こ
れを自分の表現で語ることが、著者には難しいのだろう。引用に次ぐ引用。
著者のフィールドワークとしては、2007年から2012年まで、「地域福祉施設の
相談員」として働いていたとある。この仕事がどの程度の頻度で行われていたの
か、常勤か非常勤か、公務員扱いなのか民間施設の雇われなのか、それも分から
ない。どうにも肝腎なことになると、「印象」以上のことは出てこない。施設で
の体験や知見がまとめて提出されていない。
そして「バブル崩壊以降以降、…『労働者の町』から『福祉の町』へ変容した
と決まり文句のように語られ、…これは労働をめぐる課題が後景化し、生活をめ
ぐる諸々の問題が前景化してきた」のは確かだろう。
本書で「キリスト教会」による活動も紹介はされているが、おそらく継続的に
そな活動内容を聞き取りによって確認はしていない。
酷い評価に唖然とした。
「このような活動は、生活保護費を計画的に利用する意識を弛緩させる負の効
果を持つ」と断じる。ならば「生活保護を計画的に利用することのできない日雇
労働者」には食事を与えないのがいいのか。
この手の「ある問題点を見つけ、それがあるから全て駄目」という印象を与え、
著者はこれだけ自分は考えていると目くらましをかけている。少なくとも「望ま
れる真面目な労働者」のみを大切したのだろう。これも差別だ。
この手の表現は他のもある。
「生活保護の適用よりも、就労機会の増加を重視し、野宿者による公共空間の
専用を『自立』とみなして後方支援する団体もある」。これはどこの団体か。著
者が「新左翼団体」を毛嫌いしているのは行間から滲み出ているが、決定的に悪
意をもって、「占有」しなければ宿泊できない日雇労働者を無視していることで
ある。
また「社会運動団体の乱立」を憂うそぶりを見せているが、日雇労働者には様
々な支援が必要であることで前提であり、何も団体を主催していない著者に言い
がかりを付けられる筋合いはない。
第三章、第四章では、具体例を通した支援のあり方、ホームレス自立支援法、
低額宿泊施設、ホームレス地域生活移行支援事業等々を解説してある。その現場
への適応を紹介してもらったことだけはありがたい。
第五章が呆れたしまう内容。「お金」にならぬことを徹底的に削減し、廃止し
た(教育界では希望の中学に行けるという美名での、ランク付けと困難校の廃校)
橋下市長のやり方を諸手を挙げて賛成している。ここには専門家としてのプライ
ドもない。
「行政が主導するトップダウン型の再開発プロジェクトのように見える…しか
し…ボトムアップ型のまちづくり」と、何やら悪い物を食べたような寝言が続く。
そのボトムとはいったい誰なのか。著者は上手にそのことを隠して一切語らない。
また釜ヶ崎に住む日雇労働者も語らない。それでおいて
「大きな成果をあいりん地区に残した」らしい。橋下市長による各地域の「テ
ント村破壊」も一切無視する。この章ではまたもや(というよりも聞き取りやフ
ィールドワークが嫌いなのだろう)聞き取りをせず、自説に都合のよい他の研究
者の分析をそのまま載せている。「屋台の撤去」でも屋台営業者には聞き取りせ
ず、新聞並みの評価を引用しているだけ。屋台を利用していた階層の分析もむろ
んない。
「まちづくり検討委員会」では、進行役になったのがよっぽど嬉しかったのか
紙幅を割いている。黒板に意見を書いた紙、その写真まで意味なく載せて悦に入
っている。
「一念発起して協力を申し出た」らしい。そして、「委員たちは検討会が無事
に遂行できるのか…こうした傍聴者の反応を真摯に受け留めることに徹した」と
見栄を切る。内容は単なる総花的な言説。
「慎重な議論の結果、地域の活性化に向けた取り組みを積極的に進めながら、
従来の対策を基本的に踏襲していく方向性がはっきりと示された」。これも具体
がなにもない悪文。「慎重」、「積極的」、「従来の」、「はっきりと」これらのきら
めきような言辞は全く「はっきり」していない。取り組みの内容すら分かりにくい
のは致命的。
最初からどうにも得体のしれないスタンスで記述されている書。
決定的に駄目なのが、日雇い労働に対する「最大の受益者」=雇用主のスタン
スに一行も論評(批判ではなく記述そのもの)していないこと。こういう矛盾が
日雇労働にあると指摘はするが、雇用の形態で最も責任のある(不法な)手配師
をはじめ。産業構造・就労構造の根幹の分析がない。
基本は、現体制の枠内のみでの論議で、社会批評としては失格。
二番目は、フィールドワークをほとんどしていないこと。巻末には100以上の
三区文献があるが、本書は「机上で組み立て、自説のように言い募る論はほとん
ど先人の研究からスキミングしたもの」。
麗々しく一回だけのインタビューを誇張して載せ足り、会議の「司会者」であ
ったことを示すだけ。これほどフィールドワークを軽視した「釜ヶ崎論」はめっ
たにない。
三番目は、あらゆる政治家活動にたいする見識のなさゆえに、政治運動や運動
理念を相対化することしかできず、非政治的になっていること。特に大阪の政治
に関与した嬉しさのためか、諸手を挙げて現行大阪市政・大阪都政に賛意を示す。
非政治的であろうとして、現行政治への批判的精神なきスタンスは容易に取りこ
まれる。
最初こそ興味深く思えるが、本書を読むくらいなら良質のルポルタージュを読
む方がよっぽどまし。
全くお勧めできない。
本書を一読して強く思ったのがこの一文。どうにも行政よりの、政治姿勢が露骨
な論考だろう。
著者の釜ヶ崎へのアプローチのスタンスは実に曖昧で、「お勉強」なさった学
者さんが、今でに見知ったことを書き連ねているだけか、その思いが強い。本書
では他の専門家が行った過去の研究成果を上手に取り入れているとは思う。だが
少なからず「上滑り」的な分析であり、本書扉には「貧困の地域集中とその対策
を迫った著者による現在のコミュニティー論」とあるが、この気負い立った表現
とは異なり、不十分な論考でしかない。
「まえがき」には、「この地域(釜ヶ崎 著者は官製用語の「あいりん地区」
と表記)が被ってきた不利を明らかにし、それに対してどうのようなセーフティ
ネットが生み出されてきたかを見ていく」とある。
これもかなり曖昧な記述。対象地域ははっきりしているが、内容は凡百の釜ヶ
崎研究と大差ない。というよりも過去の研究をまとめたものが本書の内容となる。
序章、第一章。「二〇〇〇年代初頭までのあいりん地区の歴史を概ね時系列に
沿って論じ」、第三章から第五章は「二〇〇〇年代以降にあいりん地区で生じた
新たな課題を『住まいの貧困』『社会的孤立、孤独死』『再開発』の三つのテーマ
に分類して」取り上げる。終章が総括であり、「地域の経験を活かすため」とな
る。
序章。かなり詳しい資料を活用しているが、いずれも他の研究者及びジャーナ
リストの著作からデータを引用。確かに孫引きするしか仕方ないデータもある(過
去のデータなど引用しかできないのだから)が、そのデータを使用しても結論め
いた言辞はほとんど引用書のまま。参考文献のまとめに過ぎなかった。
高度経済成長期に入るころから釜ヶ崎の人口が急増したこと、売春防止法と該
当地区、盛りだくさんだが他書をまとめた内容でしかない。20ページほどの分量
では十分に語ることができると思ったのだろうか。
第一章。戦後の好景気によって釜ヶ崎が「スラム」から「ドヤ」の街へと変貌
する。興味深い分析があるがここでも基本は他書からの引用。
スラム … 家族、長期滞在、人間関係が濃密
ドヤ … 個人、短期住み込み、人間関係が希薄
「高度経済成長機の釜ヶ崎は、スラムとドヤ街の中間的な性格を帯びている…
のであり、それが(1951年~1960年までの)経済の高度成長に伴う、急速な近
代化によって…スラムの比重が相対的に減少し、むしろ下層労働者の住む所、す
なわちドヤ街の占める比重が非常に大きく」なったとある。これはなるほどと思
う。
1960年代には「単身日雇労働者の空間へと大きく変質する」。これは「万博建
設に伴う労働力需要の急激な高まりによる簡易宿泊所の環境および…親族世帯の
地区外移転を促す住宅政策」に原因があるだろう。これには著者は批判的なニュ
アンスで「一面」的と論評している。
この章での分析は興味深いが、ここでも著者独自の姿勢や新しい論はない。
新左翼諸党派による「流動的な下層労働者」として位置づけられて日雇労働者
を組織する運動について。各地域(全国ドヤ街)の寄せ場を「階級闘争の最前線」
とするあり方への言及があるが、著者は全面的に否定するのではないが、著者の
政治的スタンスから、基本的には政治的運動には触れないことを、旨としている。
著者は自分の意見を入れないとしながら、印象操作を行っている。
わずか「一回のみのインタビュー」で、結果としての政治運動のマイナス面を
強調している。ご丁寧にインタビューの日時を麗々しく入れて、こう記述する。
地区社協会長、「社会運動の激化が、親族家庭の転出などによる人口構成の変
容に大きな影響を与えた」。
町会長、「経済力のある世帯は、より治安の良い地域へ転出し…日常化する抗
争や騒乱に不安を覚え…転出(した)」。
わずかな聞き取りで、これを提示するのは印象操作というよりもっと悪質なミ
スリードでしかない。大体、その本元である運動体の調査を全く行わず、
インタビューすらしていない。著者の研究者としての資質を疑わざるを得ない。
面倒な事には手を触れないで、「他人の思い」を客観的と提示する。これは反則
も反則。
さらに暴力団による釜ヶ崎での暴力的支配と、「左翼集団」による日雇労働者
の組織を意図的に混同させている。まるで「左翼集団」が釜ヶ崎で利権を得てい
るかのような書き方だ。これにも呆れた。
また行政側による一方的な講演からの「テント追い出し」=これは行政がテン
ト生活を強いられている人への「処分」でしかない、これをこうしめくくる。
「労働運動の担い手にとっては、活動拠点の喪失を意味するが、地域住民にと
っては憩の場の喪失を、子どもたちにとっては遊び場の喪失を意味する。…労働
運動と行政との激しい攻防によって…公園の大半が封鎖された。…転出に拍車を
かけ、地域に長く遺恨をのこすことになった」。
この文章の問題点は大きく4つもある。なんだろうこのいい加減な論考は。
1、まず公園封鎖をしたのが行政側であり、その責任を問うていないこと。
著者は(後述するが行政側の人間であり)、責任の軽重を問うことなく、関連
する団体に、あたかも同じような責任があるかのようにいう。これは明確な誤り。
主体となった行政を分析すらしていない。手抜きも手抜き。
2、この公園封鎖について、「追い出されたテント住民」を一切語っていない。
聞き取りも全くなく、テント住民を意図的に無視する。少なくとも、最も「被害」
を受けた側へのインタビューは必要不可欠。著者の頭の中では、「テント生活者」
は住民ですらないのだろう。非常に差別的な取り扱いだ。
3、その他の関係者=行政、近隣住民への聞き取りも一切ない。頭で考えたこ
とのみを提示するのみ。
4、「運動団体」の「利益」と、「近隣住民」の「利益」を二律背反とする。
どこにもその論の正当性を補強する事実はない。「運動団体」を現実から遊離
した独自の価値観を持つ団体と規定する。その団体の運動目標すら提示しておら
ず、意図的な手抜きをしている。これらの文章には怒りさえ覚える。
バブルとバブル崩壊後の日雇労働者のデータは確かに興味深い。しかし、引用
されている新聞がかなり体制側に立った新聞である。
おかしなことに「大阪本社」ではなく「東京本社」の取材で、非常に違和感が
ある。この新聞の大阪社会部は丁寧な取材で有名だが、釜ヶ崎を語るになぜわざ
わざ東京の社会部の記事なのか。
「過激派が介入、扇動した」、「とばく常習者」、「常習泥酔者」、「不良労働者」
等々の表現で、きちんと定義さえない「罵倒語」をなぜここで紹介するのか。見
識を疑う。無批判の引用は差別につながる。
当たり前の論。「寄せ場の労働力は刑期の調整弁として活用されやすい」とあ
るが、その「構造的に安価な労働力のみを求めた雇う側(主に元請けはゼネコン、
下請けは各種建設会社)」への批判はもとより、調査さえない。ピンハネ構造を
語ることなしに、日雇労働を語ることなどありえない。
また意味不明な「分析」もある。「生存競争においてハンディキャップを課せ
られている人びと…被差別部落出身者、在日コリアン、障がい者」とあるが、そ
のデータが「既存の資料で具体的数字を示すのは難しい」。それならば、データ
が揃っていないのも関わらず、耳目を惹くように「被差別部落出身者」等をいれ
たのか。これも疑問だらけ。
さてバブル崩壊以降の状況を、「日雇労働者の『無用化』『スクラップ化』…寄
せ場としての釜ヶ崎そのもののスクラップ化」と表現する他の研究者もいる。こ
れを自分の表現で語ることが、著者には難しいのだろう。引用に次ぐ引用。
著者のフィールドワークとしては、2007年から2012年まで、「地域福祉施設の
相談員」として働いていたとある。この仕事がどの程度の頻度で行われていたの
か、常勤か非常勤か、公務員扱いなのか民間施設の雇われなのか、それも分から
ない。どうにも肝腎なことになると、「印象」以上のことは出てこない。施設で
の体験や知見がまとめて提出されていない。
そして「バブル崩壊以降以降、…『労働者の町』から『福祉の町』へ変容した
と決まり文句のように語られ、…これは労働をめぐる課題が後景化し、生活をめ
ぐる諸々の問題が前景化してきた」のは確かだろう。
本書で「キリスト教会」による活動も紹介はされているが、おそらく継続的に
そな活動内容を聞き取りによって確認はしていない。
酷い評価に唖然とした。
「このような活動は、生活保護費を計画的に利用する意識を弛緩させる負の効
果を持つ」と断じる。ならば「生活保護を計画的に利用することのできない日雇
労働者」には食事を与えないのがいいのか。
この手の「ある問題点を見つけ、それがあるから全て駄目」という印象を与え、
著者はこれだけ自分は考えていると目くらましをかけている。少なくとも「望ま
れる真面目な労働者」のみを大切したのだろう。これも差別だ。
この手の表現は他のもある。
「生活保護の適用よりも、就労機会の増加を重視し、野宿者による公共空間の
専用を『自立』とみなして後方支援する団体もある」。これはどこの団体か。著
者が「新左翼団体」を毛嫌いしているのは行間から滲み出ているが、決定的に悪
意をもって、「占有」しなければ宿泊できない日雇労働者を無視していることで
ある。
また「社会運動団体の乱立」を憂うそぶりを見せているが、日雇労働者には様
々な支援が必要であることで前提であり、何も団体を主催していない著者に言い
がかりを付けられる筋合いはない。
第三章、第四章では、具体例を通した支援のあり方、ホームレス自立支援法、
低額宿泊施設、ホームレス地域生活移行支援事業等々を解説してある。その現場
への適応を紹介してもらったことだけはありがたい。
第五章が呆れたしまう内容。「お金」にならぬことを徹底的に削減し、廃止し
た(教育界では希望の中学に行けるという美名での、ランク付けと困難校の廃校)
橋下市長のやり方を諸手を挙げて賛成している。ここには専門家としてのプライ
ドもない。
「行政が主導するトップダウン型の再開発プロジェクトのように見える…しか
し…ボトムアップ型のまちづくり」と、何やら悪い物を食べたような寝言が続く。
そのボトムとはいったい誰なのか。著者は上手にそのことを隠して一切語らない。
また釜ヶ崎に住む日雇労働者も語らない。それでおいて
「大きな成果をあいりん地区に残した」らしい。橋下市長による各地域の「テ
ント村破壊」も一切無視する。この章ではまたもや(というよりも聞き取りやフ
ィールドワークが嫌いなのだろう)聞き取りをせず、自説に都合のよい他の研究
者の分析をそのまま載せている。「屋台の撤去」でも屋台営業者には聞き取りせ
ず、新聞並みの評価を引用しているだけ。屋台を利用していた階層の分析もむろ
んない。
「まちづくり検討委員会」では、進行役になったのがよっぽど嬉しかったのか
紙幅を割いている。黒板に意見を書いた紙、その写真まで意味なく載せて悦に入
っている。
「一念発起して協力を申し出た」らしい。そして、「委員たちは検討会が無事
に遂行できるのか…こうした傍聴者の反応を真摯に受け留めることに徹した」と
見栄を切る。内容は単なる総花的な言説。
「慎重な議論の結果、地域の活性化に向けた取り組みを積極的に進めながら、
従来の対策を基本的に踏襲していく方向性がはっきりと示された」。これも具体
がなにもない悪文。「慎重」、「積極的」、「従来の」、「はっきりと」これらのきら
めきような言辞は全く「はっきり」していない。取り組みの内容すら分かりにくい
のは致命的。
最初からどうにも得体のしれないスタンスで記述されている書。
決定的に駄目なのが、日雇い労働に対する「最大の受益者」=雇用主のスタン
スに一行も論評(批判ではなく記述そのもの)していないこと。こういう矛盾が
日雇労働にあると指摘はするが、雇用の形態で最も責任のある(不法な)手配師
をはじめ。産業構造・就労構造の根幹の分析がない。
基本は、現体制の枠内のみでの論議で、社会批評としては失格。
二番目は、フィールドワークをほとんどしていないこと。巻末には100以上の
三区文献があるが、本書は「机上で組み立て、自説のように言い募る論はほとん
ど先人の研究からスキミングしたもの」。
麗々しく一回だけのインタビューを誇張して載せ足り、会議の「司会者」であ
ったことを示すだけ。これほどフィールドワークを軽視した「釜ヶ崎論」はめっ
たにない。
三番目は、あらゆる政治家活動にたいする見識のなさゆえに、政治運動や運動
理念を相対化することしかできず、非政治的になっていること。特に大阪の政治
に関与した嬉しさのためか、諸手を挙げて現行大阪市政・大阪都政に賛意を示す。
非政治的であろうとして、現行政治への批判的精神なきスタンスは容易に取りこ
まれる。
最初こそ興味深く思えるが、本書を読むくらいなら良質のルポルタージュを読
む方がよっぽどまし。
全くお勧めできない。
2023年9月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大阪のあいりん地区の戦前と戦後から平成へと移る世の中で、貧困者対策がどのように取られてきたかを振り返る。
戦前からスラム的な貧民街だったあいりん地区は、高度成長期には建設などに従事する単身者が主に住む町になる。当初は多くいた「家族持ち世帯」は環境の悪化を懸念して転出し、益々単身者率は高まった。
それがバブル崩壊以降の日本経済の沈没で仕事が激減して無職者・野宿者・犯罪者の巣窟のような様相となり、時間経過で住人が高齢化して余計に金を食う(維持費がかかる)町になってしまう。
支援の手は随時入ったが、公的なものより民間の力が大きかったのだ。
代表的なのはキリスト教団体であり、信者の獲得よりも「貧困の脱出を目的」に掲げて住民をサポートした点において先駆け的な役割を果たした。
戦後の日本で「住民が警察と衝突して逮捕者が出た」地域は珍しいだろう。
あいりん地区ではそれが戦後も何回も発生して全国的な事件として報道されて、環境の悪印象を形成した。何と平成に時代が移り変わった90年代にも暴動が発生しており、決して遠い過去の印象ではない。
しかし、時代が平成の終わり・令和と移ると住民も高齢化して多くが鬼籍に入ることになり、かつてのような「魔境」的な雰囲気は既に過去のものとなった。新規の流入者が減ったことが高齢化の原因でもあるが、その辺りは日本の人口減少に伴う若年層の減少とも絡み、新規流入者が減ったことが好転の兆しとも言い難い。
「生活保護受給者」が住民の中に多いあいりん地区は、大阪府のお荷物的なイメージで語られがちで、事実「税収より支出が多い」ことも紛れも無い事実である。
この現状を「お金を生み出す区域・体制」へと転換を図るというのが今後の大きな目標であるが、実際の計画は「建物の建て直し」などの外見の一新が優先されがちで、住民の貧困者の生活を好転させるような仕組み作りやネットワークの構築は後手に回っている感がある。
今後の日本は「あいりん地区」のような貧困者が集まる区域が日本全国に出没する世の中となるかもしれず、そういった意味ではあいりん地区は未来の日本の縮図であるとも言えなくもない。
戦前からスラム的な貧民街だったあいりん地区は、高度成長期には建設などに従事する単身者が主に住む町になる。当初は多くいた「家族持ち世帯」は環境の悪化を懸念して転出し、益々単身者率は高まった。
それがバブル崩壊以降の日本経済の沈没で仕事が激減して無職者・野宿者・犯罪者の巣窟のような様相となり、時間経過で住人が高齢化して余計に金を食う(維持費がかかる)町になってしまう。
支援の手は随時入ったが、公的なものより民間の力が大きかったのだ。
代表的なのはキリスト教団体であり、信者の獲得よりも「貧困の脱出を目的」に掲げて住民をサポートした点において先駆け的な役割を果たした。
戦後の日本で「住民が警察と衝突して逮捕者が出た」地域は珍しいだろう。
あいりん地区ではそれが戦後も何回も発生して全国的な事件として報道されて、環境の悪印象を形成した。何と平成に時代が移り変わった90年代にも暴動が発生しており、決して遠い過去の印象ではない。
しかし、時代が平成の終わり・令和と移ると住民も高齢化して多くが鬼籍に入ることになり、かつてのような「魔境」的な雰囲気は既に過去のものとなった。新規の流入者が減ったことが高齢化の原因でもあるが、その辺りは日本の人口減少に伴う若年層の減少とも絡み、新規流入者が減ったことが好転の兆しとも言い難い。
「生活保護受給者」が住民の中に多いあいりん地区は、大阪府のお荷物的なイメージで語られがちで、事実「税収より支出が多い」ことも紛れも無い事実である。
この現状を「お金を生み出す区域・体制」へと転換を図るというのが今後の大きな目標であるが、実際の計画は「建物の建て直し」などの外見の一新が優先されがちで、住民の貧困者の生活を好転させるような仕組み作りやネットワークの構築は後手に回っている感がある。
今後の日本は「あいりん地区」のような貧困者が集まる区域が日本全国に出没する世の中となるかもしれず、そういった意味ではあいりん地区は未来の日本の縮図であるとも言えなくもない。
2017年3月10日に日本でレビュー済み
20代の大学院生の頃からあいりん地区(釜ヶ崎)を調査研究するとともに、地域の福祉施設でソーシャルワーカーとしても活動してきた著者が、この地域の歴史と現在、そして未来について、多面的に論じた本です。前半の歴史を跡づける部分は、手際よく解説されていて勉強になりながらも、やや退屈だったというのが正直な感想ですが、後半の現状紹介・分析の部分に入っていくと、俄然、興味津々の記述が増えていき、のめり込むように読み終えました。そして一転して、前半で書かれている歴史的背景を知ることの意義に気づかされました。
特に4章と5章がオリジナリティ高くまた示唆深く、前者では、同地で孤立死がどのように問題化しており、そこに宗教者がいかに関与し、また無残な「死」の回避を動力とした新しい地縁の形成が可能なのかが問われています。後者では、著者が強くコミットしてきた「西成特区構想」の政策と、その再開発がもたらす短期的・長期的な影響について、生活困窮者へのケアのあり方がどう変わるのかに注意を向けながら論じています。
あいりん地区は、本書の主題である貧困の地域的集中の、日本における典型的なケースでした。しかし、今後の日本では、貧困が特定地域だけでなく、全国的に広がっていきます。孤立死もどんどん増えていく恐れがあります。そうした現状と将来をみすえつつ、まずは自己の勝手知ったる場所から地に足のついた現代社会論を行う著者の主張には、同時代人としてじっくりと耳をかたむける必要があると思います。
特に4章と5章がオリジナリティ高くまた示唆深く、前者では、同地で孤立死がどのように問題化しており、そこに宗教者がいかに関与し、また無残な「死」の回避を動力とした新しい地縁の形成が可能なのかが問われています。後者では、著者が強くコミットしてきた「西成特区構想」の政策と、その再開発がもたらす短期的・長期的な影響について、生活困窮者へのケアのあり方がどう変わるのかに注意を向けながら論じています。
あいりん地区は、本書の主題である貧困の地域的集中の、日本における典型的なケースでした。しかし、今後の日本では、貧困が特定地域だけでなく、全国的に広がっていきます。孤立死もどんどん増えていく恐れがあります。そうした現状と将来をみすえつつ、まずは自己の勝手知ったる場所から地に足のついた現代社会論を行う著者の主張には、同時代人としてじっくりと耳をかたむける必要があると思います。
2017年3月2日に日本でレビュー済み
著者は関西学院大学社会学部准教授で、宗教・貧困などについて研究をなさっているようです。そして本著は大阪西成区≒釜ヶ崎≒「あいりん地区」の歴史と現状について書かれています。訪れてみないと実感の湧きにくい場所について、わかりやすい丁寧な分析がなされています。
関西の方には有名ですが関東ではあまり知られていない「あいりん地区」はかつては日雇い労働者の街として暴動がおこるような街でした(現在もイメージでは暴動が頻発していると思われているかも)。しかし今日では日雇い労働者たちの高齢化が進み、「暴動の街」は「福祉の街」へと変貌を遂げつつあります。貧困・高齢化・孤立化・福祉など「課題先進国」日本のさらに先の姿があいりん地区には現れているようです。
社会学者・社会福祉士など様々な方のデータベースとしても機能しており、(あいりん地区について書かれた書物には立場の偏りがよくあるので)網羅的に把握したい人には貴重な書物ではないでしょうか。
関西の方には有名ですが関東ではあまり知られていない「あいりん地区」はかつては日雇い労働者の街として暴動がおこるような街でした(現在もイメージでは暴動が頻発していると思われているかも)。しかし今日では日雇い労働者たちの高齢化が進み、「暴動の街」は「福祉の街」へと変貌を遂げつつあります。貧困・高齢化・孤立化・福祉など「課題先進国」日本のさらに先の姿があいりん地区には現れているようです。
社会学者・社会福祉士など様々な方のデータベースとしても機能しており、(あいりん地区について書かれた書物には立場の偏りがよくあるので)網羅的に把握したい人には貴重な書物ではないでしょうか。