メディアの技術史―洞窟画からインターネットへ

メディアの技術史―洞窟画からインターネットへ

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  • サイズ A5判/ページ数 216p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784501530105
  • NDC分類 361.45
  • Cコード C1050

出版社内容情報

 本書は著者が武蔵野美術大学で講義したメディア技術史の内容を整理し補完したものである。美術,特に映像製作の世界ではコンピューターをはじめとして多くの技術を使いこなすことが避けて通ることのできない要件になってきている。技術の進歩は急速であり次々と新しい道具が創作意欲を刺激してくれるが,学生はその変化に目を奪われ,操作に手を奪われて,ともすれば自分の制作,研究の本質を見失いがちになる。
 うしろを振り返れば未来が見えると言われる。前進する若者にとって,振り返ることは決して愉快なことではないし,時間の無駄のようにも思われるだろう。しかし,歴史は未来を見るためばかりにあるものではない。人間の視覚が,ものを認識する有効視野だけでなく,その周辺にあるややぼんやりとした誘導視野の助けによって正しく機能しているのと同じように,歴史は現在を正しく見るために必要な基本的な情報なのである。いま対面している技術の意味と本質を知るためには,そのルーツを求め,そこからの変遷を知るのが最もよい方法であり,また歴史の中には先人の知恵や,すっかり忘れていたようなヒントが多く隠されているのである。こうした背景によって本書は『メディアの技術史』と称しながらも,技術の細部に亘ったり,あるいは技術の進展の様相を羅列することを避けて,むしろ技術と社会のかかわりについての様々な話題を取り上げた。そしてその中で技術の流れ,技術の意味と役割についての理解を得られるように心懸けた。
 書物または講義から学ぶ歴史はともすれば昔も今も変わらぬ人間の本質が強調され,あるいは反対に進歩によって得た利点が強調されがちである。それらは歴史の両面というべきものであろうが,こうした観念的な知識を越えるためには,博物館に赴いて自ら昔のものを見たり,ものと向い合って昔と対話する場所をもつのがよい。ものを見ることによって書物で得た印象は全く変化する。そこに時間の重さをしみじみと感じるし,言葉あるいは文字というメディアによっては得られない,自分自身の主体的なイメージを構築することができる。学生には博物館でものを見ることを勧め,筆者自身も講義に用いる題材についてはできるだけものと対話する機会をもつように心懸けたが,その気持ちをこの書にも表してある。
 本書では,一九六〇年代後半に大きな反響を呼んだマクルーハンの論文を数カ所で引用した。すでにその考えは古いと唱える向きもあるが,これはパソコンあるいはマルチメディアといったコンピュータの成果が社会に現れるより前に書かれたもので,それだけに却ってテレビ以前のメディアについて,その本質に触れている所が多い。その中の基本的な問題について記述した部分は今でもほとんどそのまま通用すると言ってよいだろう。また,その中の「オートメーション」と称した章では「オートメーションは人間を解放する。そして人間はより豊かな想像力をもって社会に参加し,人々が芸術家の役割を果たすことを可能にするであろう」と述べて,コンピューター社会の未来に夢を残しているのも面白い。
 建物としての統一感にやや欠けながら,しかし多くの美しい彫像によって飾られたミラノ大聖堂を評して,当時のフランス人は「科学を無視した芸術は空しい」と言ったという。これを聞いたイタリア人は,ゴシック様式特有の建築技術をそのまま対角線のアーチに表現したノートルダム大聖堂について,「芸術を無視した科学は美しい」と反論した。現在の芸術は,科学・技術を無視しては成立しにくい。一方,これまでの技術は前半で述べたように人の生存,省力,そして人間の機能の拡大に関する技術であったがその域での発展はほぼ終焉に近づいている。二一世紀の技術には,人を感動させ,喜ばせる技術が求められている。芸術を視野に入れた科学,科学を視野に入れた芸術が必要になってきている。
 現代社会での技術はハードウェアーの成果を社会に問うということでは終わりにならない。それらは陽に陰に様々の影響を我々の世界に与えていく。本書で繰り返し述べてきたように,メディアがメッセージを発するのである。「より便利な,より力の強い機械を提供します。あとはご随意にご利用下さい」ではなく,それがどの様に使われ,どの様な影響を社会に与え,そしてどのように人間の感動に寄与していくのかといった点への配慮が必要になっている。そういった意味で本書が技術と芸術の橋渡しに一役買うことができれば幸いであるが,短い紙数のなかで二兎を追ってために言葉足らずに終わったところにある。それは著者の未熟の故であり,大方の叱正をお受けしたい。
 マルチメディアの時代,講義にはできるだけビデオ映像を使用して学生の理解を深めるように心懸けたが,グーテンベルクメディアの本書ではそういった仕掛けをつくることはできなかった。いずれそうした映像ともに,CD-ROMとして出版できればよいと考えている。
 本書についてはマスメディアの研究者でありマクルーハンの著書などの翻訳者でもある後藤和彦教授(常磐大学)の貴重なご助言を得た。また在籍中,武蔵野美術大学の諸教授から多くの示唆を頂いた。厚くお礼申し上げる。またこの本の編集にはこうした科学史に興味をもっていた出版局の徳富君の熱心な協力を得たことは大変幸いであった。お世話頂いた植村編集課長に併せてあらためてお礼を述べたい。
1999年初夏
著者

第1章 第四の波
 第三の波
 メディアの革命
第2章 コミュニケーション
生きるための技術
 力の拡大
 情を伝える
 心を届ける
 拡張されたコミュニケーション
第3章 音と絵
音と絵
 音と色の調和
第4章 文字の発明
 ロゼッタストン
 文字によるコミュニケーションの革命
 メディアの革命
 日本の文字
 紙、中国発の旅
 音楽を文字で表現する
第5章 印刷術の発明 聖書から新聞へ―時間軸の短縮
 印刷技術の発展
 音を印刷する
第6章 写 真
マイブリッジの証言
 カメラオブスキュラから写真へ
 使いやすさを求めて
 科学と芸術
 写真の芸術論争
 大衆の中の写真
 立体写真
第7章 映 画
動く絵
 時間に触る
 映画の技術
 アニメーション映画
 映画というメディア
第8章 電信と電話 聞こえた?
 電気通信の誕生
 流通の革新
 メッセージの運搬
 システムへの広がり
 技術を競う有線と無線
 電気通信というメディア
第9章 ラジオとテレビ
映像が地球を結ぶ
 ラジオ放送が始まった
 技術の進歩と規格
 テレビ技術の側面
 テレビというメディア
第10章 コンピューター
ファミコンの魅力
 計算機の誕生
 人間とコンピューターとのコミュニケーション
 パソコンの誕生
 インターネットへ
第11章 メディアのゆくえ
究極のコミュニケーション

 あとがき

内容説明

古代人が狩りの様子を描いた洞窟画から現代人が未来を描くインターネットまで人間は情報を何にのせてきたか。

目次

第四の波
コミュニケーション
音と絵
文字の発明
印刷術の発明
写真
映画
電信と電話
ラジオとテレビ
コンピュータ
メディアのゆくえ

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